メキシコで体外受精+着床前スクリーニング 六日目
六日目は10月7日の土曜日。
火曜日から金曜日までの四日間、午後7時(だいたい7時半前後だったけど…)の卵胞刺激ホルモン注射をこなして翌日土曜日は、予定通りドクター・チアンの診察が午前11時にあった。
クリニックへ到着した時に、私たち夫婦を担当してくれているコーディネーターのエストさんが、
「気分はどう?」
と聞いてくれて、その時に始めて、四日間ホルモン注射をしてきて、特に私が気付いた範囲で体調に何の異変もないことに気付く。
(効いてないのだろうか…)
不安がよぎったけれど、なるべく考えないようにすることにした。
そして診察。
超音波の結果、結局は不安に思った通りで、あまりホルモン注射は効いていなかった。
左の卵巣は以前として嚢腫があるだけ。右の卵巣は卵胞が一つ育っているが、もう一つ育ちそうな影が見えるだけで、状況はあまり芳しくはない。
そこで土・日と卵胞刺激ホルモン注射を続けて、再び月曜日に卵巣の状態を確認して、その後の方針を決めることになった。
この時だったか、ドクター・チアンが今回は受精卵を凍結することになるかもしれないと説明してくれたのは。つまり体外受精をより高い確率で成功させるためには、より多い受精卵が必要になるが、今回のように一つか二つしか卵子を抽出できない場合には、今回のサイクルで体外受精を行うのではなく、次回サイクルで再び卵子を抽出して少しでも多くの受精卵を作り体外受精に挑むということらしい。
つまり今回の滞在で、体外受精まで進めない可能性もあるということ…。しかも再びカンクンへ戻って、何週間も滞在しないといけないことになる。その度に上の娘を学校から休ませないといけないのか。
この時はまだどこかで、そんなことにはならない、メキシコへ来れば、私は夫の望む男の子を妊娠して、彼の狂気から解放されると思っていた。体外受精はそんなに簡単な話ではないと、色んなインターネットの記事や周りの体験談で知っていたはずなのに、自分たちには当てはまらないと思っていたのだからお気楽というか、能天気というか。
ドクターのオフィスを出て、受付にいるエストさんに経過を説明する間に、あと二日分の注射のパッケージを用意してもらう。するとペン型の注射器があと一つしか在庫がなかったようで、もう一つはもっと普通の、ザ・注射器といったやつを渡された。どう見てもペン型より時代遅れに見えるけど、内容は同じ。値段も同じ。
(ただし後日ネットで調べたら、日本だとペン型と普通の注射器タイプとで値段が違うらしい。)
ザ・注射器タイプの方が痛そうだなぁと漠然と思ったのと、使い勝手がわからない方を最終日まで残しておくことに不安があったため、先にザ・注射器を使用することにした。
そして予想通り、ペン型よりずっと痛かった…。あまりに痛くて、段々腹が立って、終わった後に「もう二度とやりたくない、こんな注射!」と文句言ってゴミ箱に投げ捨てた。
そんなわけでパッケージの写真がない。
メキシコで体外受精+着床前スクリーニング 二日目
カンクンへ到着して二日目、本格的に生理の出血が始まった。
朝食をとりに入った近所のカフェにてクリニックからの電話を受け、昼過ぎ頃来院することになった。
結論から言うと、体外受精へ向けての治療を進めてみる価値はあるということだった。嚢腫のせいで、卵胞刺激ホルモン注射が効かない可能性もあるが、血液検査の結果を見る限り、卵胞が育つ可能性が全くないわけでもない。それにせっかくメキシコまで来て、何もしないで諦めるようなことは私たち夫婦も望まないだろうと。その通りだ。すでに一ヶ月分の滞在費は支払済だし、ここで宙ぶらりんになってしまうなんて諦めがつかない。
ということで卵胞刺激ホルモン注射をこの日から始めることになった。
まずは四日間、毎晩7時に卵胞刺激ホルモン注射を打ち、そして土曜日に卵巣の状態を診るというスケジュール。
よかった、まだ希望の光が消えてしまったわけではない。
いわゆるペン型の注射器のパッケージ。
4箱(4日分)の合計は、$1012.16 USD也。
メキシコで体外受精+着床前スクリーニング 一日目・後編
待合室にて待つこと30分か、1時間も待たなかったと思う。名前を呼ばれて、奥から二番目のドアへ入ると、優しそうな顔のこじんまりした男の先生が、ドクター・チアンです、と自己紹介して迎えてくれた。
事前にメールで、連絡係の方から先生の名前は教えてもらっていたので、聞き返したりすることもなく、すんなり名前が頭に入ってきて一安心、挨拶をひと通り済ませる。
そして本題。
バースコントロール・ピルを飲んでいたにも関わらず、三日も早く不正出血が始まっていることを会話で確認した後、とにかく超音波で子宮の状態を診てみようとなり、先生のデスクの後ろのドアから隣の部屋へ移動した。
その部屋は照明は暗く、超音波検診のための器具、ベッドとモニターが置かれていて、さらに奥にはもう一つドアがあり、そこは専用の更衣室兼洗面所だった。
そこで青い検診衣に着替えて、超音波の部屋へ戻り、いざ検診となった。緊張するなと頭の中で自分に言い聞かせながら、モニターに映る自分の子宮を見つめる。と言っても、何が映っているのか殆どわからないけど。
しばし先生がモニターを見つめて無言で検診。数分の後に聞きなれない単語が出てきた。
「卵巣嚢腫ですね、左の卵巣に。知っていましたか?」
もちろん知らなかった。嚢腫って…つまりどういうことなのか。ここまで来て、まさか治療を進められないということなのか。
先生に服を着替えるよう、話の続きは隣の部屋で、と言われるまま診察台を降り、服を着替えて最初の診察室へ移動した。
卵巣嚢腫という英単語(Ovarian Cyst)を初めて聞いた私は、先生にもう一度詳しく説明してくださいと頼んだ。
ドクター・チアンは本当に優しい先生で、難しい顔や嫌な顔は一切せず、僕の英語もそんなに上手くなくて申し訳ないとまで言ってくれて、卵巣嚢腫がどういうものか、私たち夫婦の治療にどんな影響があるか説明してくれた。
そしてとりあえず、治療を進める前に、この嚢腫がどんな性質か私のホルモンの値を見る必要があるとして、血液検査をすることになった。
ある特定のホルモン値が低ければ、卵胞刺激ホルモン注射がまだ効くかもしれないということだった。注射が有効なら、嚢腫があっても他に卵胞を作れる事もあるのだそう。
血液検査の結果は4時間くらいで出るから、クリニックから連絡するので、その時に今後の方針を決めましょう。
ドクター・チアンと握手を交わして別れ、検査のため採血をし、クリニックを出たのは午後1時頃だった。
その後私たちは、一度バケーションレンタルのアパートメントへ荷物を置かせてもらいに行き、3時のチェックインまで近くのモールで時間を潰し、部屋に落ち着いてから連絡係の方にメールしたけれど、進展があればエストさんから連絡がいくとのことで、しかしその日は結局クリニックから連絡はなかった。
カンクン滞在中いちばん長かった一日は、こうして終わった。
メキシコで体外受精+着床前スクリーニング 一日目・前編
2017年10月2日月曜日。
早朝6時半トロント発の飛行機に家族四人で乗り込み、中央アメリカ屈指のリゾート地、メキシコはカンクンへ到着したのは、午前10時半頃だった。
入国審査を済ませゲートを出てすぐ目に入ったのは、タクシーのカウンター。
生理が始まるはずの予定日より数日早く不正出血が始まっていたために、クリニックから、カンクン到着後すぐに来院するよう連絡がきていた。そのため少し焦っていた私は、脇目も触れずそのカウンターへ。
ダウンタウンにあるそのクリニックまでは580ペソ(約3,500円、距離は16kmほど。殆どボッタクリのような値段と気付いたのは、クリニックでタクシーの相場を教えてもらってからだけど、空港内にはそのタクシー会社しかないので、下調べしなかった自分たちが甘かったのだろう)を先払いと言われるまま支払い、一同タクシーへ乗り込みクリニックへ向かった。
乗車時間はだいたい20〜30分くらいだったろうか。タクシーの窓からヤシの木の仲間のような木がたくさん、次から次へと流れていくのを横目に、ついに来たのかメキシコへ、と思ったのも束の間、病院へ到着した。午前11時過ぎ。
カナダはすでに秋だったので、ジャケット姿で浮いてる私たち家族。それに加えてスーツケースまで引っ張っていて、なんとなく恥ずかしかったけど、現地コーディネーターのエストさん(仮名・英語が堪能。背が高い。他の職員さんたちの中には殆ど話せない人ももちろんいる)が温かく迎えてくれて、少し緊張が解けたのか、ほっとしたのを覚えている。
とりあえず、次の予約が終わり次第先生に診てもらえるとのことで、スーツケース等の荷物を置かせてもらい、待合室にて待機することになった。
<つづきは後編へ>
はじめに
ことの始まりは、二人目の子供を妊娠して安定期に入ってから初めての超音波検診に行った時、19週目あたりだったので性別がわかるかもしれないという期待に、夫も私も胸を膨らませて病院を訪れた時のこと。
それまでにも夫は、一人目が女の子だったので、二人目は男の子がいいよね、バランスが取れていいね、なんて言っており、私もまあ確かに男の子でもいいな、でも女の子でももちろん健康ならどっちでも!(たいていの母になる女性はそう思うと思いますが)と思っていた。
母の勘としては、つわりが長女のときと似ているし、何より子供を作ろうと頑張っていた時に、特に産み分けを意識せずに、まずは妊娠することを目指していた私たちは、数うちゃ当たる戦法で、排卵日の前後になるべく多く子作りに励もうという戦法をとっていたけど、さすがにお互い歳だからそんな毎日頑張れるわけでもないし。しかも二人目を妊娠したと思われる排卵日のときは、ちょうど排卵日前に子作り頑張ったあと二回も三回も挑戦する前にノロウィルスに家族全員でやられて、順番にみんなベッドで高熱出して寝込んだ時だった。(そして思えばたぶんこの高熱のおかげで、排卵日以降高温期を保てない私が妊娠できたのではないか)
だからまず間違いなく、二人目も女の子だろうな、そう思っていたけど、男の子を期待している夫には言えずにいた。
そして19週目の超音波検診。
超音波技師に「どっちですか?」と訊ねる夫。
技師は超音波のプローブを動かしながら、「たぶん女の子。見せてくれないからはっきりわからないけど、この感じは女の子。」
「はっきりわからない?じゃあ男の子という可能性もある?」と食い下がる夫。
「うん、もちろん超音波の性質上100%とは言えない。でもおそらく女の子ですよ。」
超音波技師の人って、もう一日に何十人も妊婦さんを見てきてるわけですから、その人が「たぶん女」って言ったら、もうほとんど100%に近い確率で女の子でしょう。だけど夫は信じたくなかったようで、この検診の後の夫の落ち込みっぷりは可哀そう通り越してイラっとするほどどっぷり落ち込んでいて、この時初めて、本当に初めて私は夫が男の子の子供を望んでいたことに気づいた。私のように、どうせなら男の子という程度ではなく、どうしても男の子が欲しかったのだ。
それだけ真剣に欲しかったのなら、どうして子作りに挑戦していた時にもっと言ってくれなかったのかと聞いたことも何度もあるが、夫は自分は言っていた、私が本気だと思っていなかっただけだと言う。過去のことを言っても仕方がない。
この夫の落ち込みようも、次女が無事に産まれてくればよくなるかと思っていたが、むしろひどくなる一方だった。
自分に男の子の子供がいないことで気が狂いそうになると訴える夫。自然と男の子がいるご家庭と家族ぐるみで遊びにいくことはなくなり、カフェで朝ごはんを下の子と3人で食べに行っても、隣のテーブルに男の子連れのお母さんがいようものなら、とたんに影を暗くして恨み言を言い始めたりする。
夫を正気に戻す方法はただ一つ、男の子を授かることしかない。
だが夫は絶対に男の子でなければ、3人目は欲しくないときっぱり断言。
世の中にはどんな産み分けの方法があるのかさんざん調べて、たどり着いた結果は体外受精+着床前スクリーニングという方法だった。
ただし私たちが住むカナダでは、この方法は先天的に遺伝性の疾患を持つ人以外、受精卵の着床前スクリーニングは許可されていない。またその遺伝的な疾患が、性別によって避けられる場合にのみ、受精卵の性別を選ぶことができる。
だがアメリカをはじめ、イタリア、メキシコ、タイなどの国では許可されている。
それらの国の着床前スクリーニングをやってもらえる不妊治療クリニックを調べた結果、私たちは今メキシコのカンクンにいる。すでに2週間が経ち、いろいろなことがあった。いろんなことばかりで、まだ2週間なのに脳みそがパンク状態、このブログを忘備録とすればすこしは頭の中が整理されるかもしれない。またもし世の中に私のような経験をしている女性がいたら、せめて何かの参考になれば、、、